阿波の農村舞台 阿波人形浄瑠璃の魅力を伝える人々

じょうるり=美しい宝石

日本の各地には百花繚乱の人形芝居が伝わります。中でも三人遣いの人形は世界的にもめずらしい優れた様式を誇り、大阪の文楽のみならず、今も全国各地で上演されています。三味線の伴奏で、太夫が物語りを語る「浄瑠璃」と出会い、四百年以上に渡り磨き抜かれてきた「人形浄瑠璃」。様式化されたその表現は、見る側の想像力をかき立て、人間の本質をえぐり出します。
徳島では、とうとうと流れる四国三郎・吉野川と、その恵みを受けて隆盛を極めた阿波藍、そして江戸時代を通じて淡路島を領有した徳島藩の政策などを背景に、全国有数の「人形浄瑠璃の国」として、今日までその伝統を継承してきました。
「じょうるり」は美しい宝石を意味する言葉。風土や歴史を背景に長年かけて育まれる「文化」こそが地域の個性や魅力となりますが、吉野川、阿波藍、そして人形浄瑠璃は、まぎれもない徳島の美しい宝石です。

淡路から阿波へ、そして全国へ

人形浄瑠璃が成立して間もない1615年、淡路島が徳島藩の所領になり、徳島藩主蜂須賀公は、淡路の人形座に全国を巡業する許可を与えたり、賦役を免除するなどの政策をとりました。また徳島では、吉野川が毎年氾濫し運んでくる肥沃な土で品質抜群の阿波藍を栽培し、莫大な富を得た藍商人たちが、淡路の人形座を頻繁に招聘したことから阿波、淡路の人形浄瑠璃が大きく発展しました。


●阿波での公演
吉野川流域の藍作地帯では、淡路人形座が小屋掛けの舞台で有料公演を行いました。これに対して県南部の非藍作地帯では、春秋の祭りに、神社の境内の農村舞台で、地元の人形座が無料で人形芝居を披露しました。徳島には県南部を中心に人形芝居用の農村舞台が全国で最も多く残り、今でも県内各地の農村舞台で公演が行われています。

●全国各地への伝搬
淡路の人形座は17世紀から全国各地を巡業し、19世紀になると阿波の人形座や箱廻し芸人たちも地方興行に出て、人形浄瑠璃を全国各地に広める上で、大きな役割を果たしました。

人形浄瑠璃の魅力

音量のある重々しい響きの太棹三味線の伴奏で、太夫が物語りを語る「浄瑠璃」と、人形芝居が結びついて生まれた芸能が「人形浄瑠璃」。「三業一体」の表現が見どころです。
浄瑠璃は、美しい文章で描かれた文学作品の魅力が、虫の声や風の音にも感動する日本人の感性あふれる音楽と出会って生まれた芸術表現です。リズムやメロディよりも、緩急、強弱、高低、間合いの4つを重視し、複数の登場人物のセリフだけでなく、その心理や情景までも一人で語り分けます。大きく分けて「詞(ことば)」「地合(じあい)」「節(ふし)」の3つで構成されますが、「地合」や「節」がセリフの部分に入り込む場合もあります。
三味線は、あるときは太夫にしたがい、あるときは太夫をリードしながら、喜びや悲しみ、風のそよぎ、雪の舞う夜の寒さ、涙の落ちる音など物語の世界を表現します。消え入るように静かに響く音や強く叩き付けるような激しい音など、響きと余韻を最も大切にし、幅広い表現力を有するのが浄瑠璃の太棹三味線です。


「詞」・・・旋律のない登場人物のセリフの部分。原則として三味線は入りません。
「地合」・・・三味線が入り、情景や心情を語る部分。
「節」・・・「地合」よりも音楽的な要素が強く、歌うような部分